人類が存続できるかどうかの危機として、①核の脅威、②気候変動、③資源の枯渇、④経済格差があげられる。SDGsはこれらへの対応を指標化したものであるが、これまで「経済成長=社会の進歩」としてきた図式への警鐘でもある。
近年における人類世界の持続可能性からの無節制な経済成長への見直しは、1970年代のオイルショックに始まる。ローマクラブの報告書『成長の限界』(1972年)では、石油などの資源の枯渇が焦点であった。21世紀になると、気候変動・地球温暖化による環境問題が主となった。
経済成長を見直すもう一つの流れは、「経済成長は無条件に人間を幸福にするのか」という問いかけである。1990年代から主観的な幸福度(生活の満足度)を測定し、幸福度を高めるもろもろの要因(所得・希望所得・家族・働き方など)との関係をさぐる研究が盛んになった。
所得と幸福度は国別や階層別(クロスセクション)では小さいが相関がみられる。しかし、時系列では相関がみられない。幸福度と獲得したい希望所得との関係はマイナスの相関があるからである。所得が上がっても希望獲得取得が上昇するので幸福度が相殺される。欲望の充足は新たな欲望を生むのである。
現在では、広告・宣伝などによって新たな欲望が創出される。例えば、アメリカでは70%の人が肥満、日本でも30%いるのにかかわらず、食欲をそそる食品の広告が見られる。
このような状況の中で、GDPに替わってNH(I国民幸福度指標)を政策目標にする試みがなされている。ブータン王国がいち早く採用したことで有名である。日本でも地方自治体が住民幸福度指標の作成を試みている。社会は経済のためにあるのではなく、経済は社会のためにあるのである。
ところで、SDGsは人類存亡の危機への対処を指標化したものである。これらは人体に例えれば健康であるかどうかのバロメーターである血圧、体温、血糖値などに相当する。健康を維持するにはこれらの数値が正常値の範囲になければならないが、人は異常がない限り特に気にして生きているわけではない。日々の生活の結果が数値に現れるのであって、各人はそれぞれの好みと必要に応じて生活している。
しかし、日々の生活態度が健康に良いものであるか害するものかで違いがでる。暴飲暴食し運動不足であれば数値が悪くなる。早寝早起きで節制に心掛けストレスを溜めない生活をすれば数値は正常を保つだろう。
SDGsも同じで、望ましい社会のビジョンにしたがっていればSDGsは結果として達成できるが、社会が不適切なビジョンに支配されていると達成できない。それではその望ましい社会は何かということになるが、「成熟社会」の概念がそのことについて大きなヒントを与えてくれる。
成熟とはいたずらに新しいものを求めるものでなく、また必死にフロンティアを探すのではなく、既存の状況の中で、物事をより生活になじむように洗練させて、個々人の満足を高めるように、物事と人間の関りを深めていく。
成熟社会(maturesociety)という言葉を最初に使ったと言われるデニス・ガボール(1900~1979)は著書『成熟社会』(1972年)で、成熟社会を「人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質的文明の高い水準にある平和な、かつ人類の性質と両立する世界である」と述べている。
〈筑後川入道・九仙坊(きゅうせんぼう)プロフィール〉 久留米大学名誉教授、一般社団法人筑後川プロジェクト協会代表理事。入道とは俗界に身を置きながら仏門に帰依すること。筑後川入道と名乗ったのは、目的を果たすために従来のしがらみにとらわれず、自由に発想し、自由に生きるため。このコラムでは、忌憚のない“筑後川入道”の生の声をお届けします。
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