前回のコラムで、地方創生では地域共同体が大事ではないかということを述べた。今回は何故地域共同体の再生なのかについて、もうすこし突っ込んで述べていきたい。
災害は地域共同体が大事であるというもっとも分かりやすい事例であろう。近年、日本では、阪神大震災、東北大震災、熊本大震災や、地球温暖化の影響とみられている異常気象からの集中豪雨等による甚大災害が発生している。
災害時の避難や災害復興にあったては「自助、共助、公助」の役割がある。自助とは他人に頼らない自力によるものであり、共助は地域の人々の絆による自発的なものであり、公助は地方自治体や国によるものである。
自助はよほどの金持ちでないかぎり限界がある。洪水にとる浸水の心配はなく地震にはビクともしない家に住み、いざという時の避難にヘリコプターを用意しておけば大丈夫かもしれない。しかし、普通の人にはそのようなことができないし、自然は人知の及ばない事態を発生させるので、ヘリコプターを飛ばせないかもしれない。
公助が動き出すまで時間がかるし、公助では個々人の事情に合った細かい気遣いの支援ができない。この間隙は共助で埋めなければならない。共助にまつわることで興味ある話を聞いたことがある。
洪水が多発した筑後地方では、裕福な農家は一段高いところに水屋という屋敷を構え、洪水の時は近所の人達が避難してきた。水屋があった女性の話であるが、彼女の母親が病気がちで普段は床に臥すことが多かったが、洪水の時は急に元気になり、避難してきた人たちをかいがいしく世話をしたということである。
写真 水屋におかれた舟
幕末に来日した外国人が、地震や津波のあと数日を置かずして、復興に取りかかる日本人の姿を見て感嘆したという話が残っている。災害大国日本では、いざという時の地域の結束力の強さはDNAに刷り込まれているのかもしれない。
次に、共同体再生が必要な事例は、介護の問題である。人口構成の高齢化にともない、高齢者の介護は日本社会がかかえる最重要な問題で、これに適切な対応がないと、国家財政や国民の経済的負担もさることながら、人生の幸福感にかかわる。老後への安心感がないと幸福感は低下する。
行き届いた介護には「在宅ケア~コミュニティケア~施設ケア」の連続が必要であると言われている。行き届いた介護とは、できるだけ介護される人や家族の意向に合うような介護であろう。ほとんどの人はできるだけ長く住み慣れたところで暮らし終末を迎えたいと思っている。それにはコミュニティケアが欠かせない。コミュニティケアが不在の場合、在宅ケアか施設ケアの選択になってしまう。核家族化した現在では在宅ケアには限界があるので、施設ケアへの需要が高まる。「自助、共助、公助」との関係では、共助が抜けることになる。
写真 福岡市長住地区のコミュニティケア。
長住は長く住むという意味で、公募によって命名された。
〈筑後川入道・九仙坊(きゅうせんぼう)プロフィール〉 久留米大学名誉教授、一般社団法人筑後川プロジェクト協会代表理事。入道とは俗界に身を置きながら仏門に帰依すること。筑後川入道と名乗ったのは、目的を果たすために従来のしがらみにとらわれず、自由に発想し、自由に生きるため。このコラムでは、忌憚のない“筑後川入道”の生の声をお届けします。
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